本と砂糖壺

本と散歩と、あれこれ

冬の夜は怖いから

今週のお題「わたしの節分」

  クリスマス・イブ、除夜の鐘、節分。これらの共通点は、冬の夜、家の窓を開けた時に頬に当たるキーンと冷えた空気。そしていずれも、何かが起こりそうでミステリアスな雰囲気。子どもの頃、冬の夜が怖かった。

 

 とは言っても、クリスマス・イブは、怖いというよりはわくわく感が先立つもの。絵本などで、小さな男の子が窓辺で、トナカイのそりがやってくるかと夜空を眺めているシーンがよくありますが、私も同じようなことをしました。サンタさんはたぶん本当にはいないとわかっていたけれど、「もしかしたら鈴の音が聞こえたりして・・・。聞こえたらどうしよう?」なんて考えていました。しかも結構大きくなるまで。

 除夜の鐘も同様で、親が新しい年神様が来るなんて言っていたものですから、歳が切り替わるまさにその時、トナカイみたいに年神様が空を駆けると夢想してました。本気で思っていたわけではないのですが、そうだったらいいな、みたいに。たぶん、小さいときに母親に読んでもらった『ピーターパン』の本の影響かなと思います。ほら、ウェンディの部屋に、夜空から妖精のティンカーベルが飛んでくるではありませんか。あのイメージを抱いて、窓を開けて空を見上げると、星が瞬いていて、ゴ~ンと除夜の鐘が聞こえていましたっけ。和製ピーターパン?

 

 クリスマス・イブも除夜の鐘も、ミステリアスながら「あったらいいな」的な楽し気な空想でしたが、節分は怖かった。設定は一緒なんですけど、出てくるのは鬼ですから。しかも鬼は、空からではなくて、庭の茂みとか木の陰とかに潜んでいるんですから。

 家では、あらゆる出入り口から、豆まきをしました。ベランダ、勝手口、子ども部屋の窓、おまけにトイレの小さな窓からも。親はなぜか「ほら、子どもがやりなさい」と言います。しかも私、一人っ子なので全部やることになります。ガラガラガラっと雨戸を開けて、「まさか、まさか、鬼なんかいないよね? いたりして。いやいや・・・」。庭の植え込み、見たくないのに、見てしまう。とりあえず鬼はいない。

 大きな声を出すのが恥ずかしかったけれど、決心して第一声を出します。「鬼はー外!」バラバラバラ(豆の音) 鬼が逃げるのが見えたらどうしようと目をつぶる・・・

 玄関だけは父が豆まきをしました。その口上がかっこいいんです。

「鬼は外、福は内。天に花咲け、地に実が成れ。鬼の目玉をぶっ潰せ!」

 父は東京の人間ですが、父の父、つまり私の祖父が秋田の出身で、このような口上で豆まきをしていたんだそうです。ちなみに最近になって山県出身の人から、同じような口上だったと聞きました。

 大声を出すのが恥ずかしかったけれど、豆まきをするとそれに応えるかのようにお隣さんやお向かいさんの雨戸もガラリと開いて「鬼は₋外!」と聞こえてきます。あちらからもこちらからも、「鬼はー外! 福はー内!」と子どもの声でにぎやかになるのです。

 我が家では三人の子どもたちで豆まきをしていました。三人ならば、それほど恥ずかしくもなく、豆まきのハードルは低かったようです。この頃は子どもが成長してしまったので、仕方ありません。私が自分でやります。玄関のドアをちょっと開けて(うん、鬼はいない、大丈夫)、「オニハソト」とつぶやいてパラリ。これは明日の朝の鳥さんのおやつ。それから「福は内」と言って一粒食べます。床にまいたらお掃除大変だから。以上。ずいぶんいいかげんですね。

 それにしても、豆まきの声、一昔前のように聞こえてきませんね。子どもが多いところでは、そうでもないのかな? 神社での節分会を始め、イベントととしての豆まきの混雑はなかなかのものですし、昔は聞かなかった恵方巻もすっかり定着しましたね。でも、家で豆まきをするという習慣はどうなんでしょうか? 私はなんだかんだ言って、豆まきをやめることは出来ないです。なぜかって? そうですね、家まわりの鬼、祓うため? 冬の夜は怖いから。

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