本と砂糖壺

本と散歩と、あれこれ

本屋大賞ノミネート作品を読む! ③

 3回目に取り上げるのは、『さざなみのよる』(木皿泉 河出書房新社)です。

 

 今、ブログを書くにあたり気がつきました。タイトルの『さざなみのよる』、全部ひらがなですね。「さざ波の夜」でも「さざなみの夜」でもなく、「さざなみのよる」。しかも表紙の題字は「さざ なみ の よる」という配置になっています。ひらがな表記でゆるい感じにして、さざ なみ よる と漂っているような感じ。何が漂っているって、「いのち」かなあ? 

 表紙の絵、よーく見るとこれも不思議。タイトルのある表面が都会の夜の街、裏面が昼の山里。カンバスに描かれた油絵風のタッチで、抽象画っぽい。(誰の画かなと思って奥付を見たら、絵本作家の荒井良二さんでした。納得)

 山里の空や都会の空間の中をふわふわ漂っているのは、星や光かと思いきや、これまたよーく目を凝らすと、鳩や猫に混ざって、お魚や電気スタンドや椅子やUFOも浮かんでいる・・・すべてがぐるぐると回っているような宇宙のような・・・。とにかく見れば見るほど不思議になってくる画です。でもって、この本も、まさにそんな物語なのです。

 

 一人の女性が、若くして(40代)亡くなる直前の場面から物語は始まります。女性の名前はナスミ。末期癌でもはや体の自由はきかず、親族が自分に会いにくる中で、もう長くはないなあと悟り、「死ぬって言われてもなあ」と心の中でつぶやくのが、物語の冒頭です。ほどなく目を開けることもできなくなり、周りがバタバタとした緊迫感に包まれ、どこか別の部屋に運ばれていく自分を感じて、やがて人生の幕が下りるという時、「なんだ、私、けっこういい人生だったじゃん」と思う・・・

 

 これを第1話とし、この後続く第2話からは、彼女の夫や姉といった別の人間が、それぞれに彼女の臨終を振り返ったり、あるいはお通夜に参列する同級生の男性が、ナスミとの想い出を回想したりします。さらに、数週間後(?)にお焼香に来た元同僚とか、7か月後にナスミの訃報を聞いた女性(ナスミの知り合いの男性の妹)とか、入れ代わり立ち代わり様々な人物が「ナスミ」について回想するのですが、年月が経過していくとともに回想する人物が「ナスミ」の周辺から広がっていく展開が面白いです。

 亡くなるという悲しい場面からの、そして、一人の女性の人生の終わりの場面からのスタートなのに、今はもうこの世にいない「ナスミ」の人間関係からたくさんの話が生まれ、物語が編み出されていく様に、「人生っていいもんなんだな」と思えてしまうのがこの物語のよいところなのではと思います。

 

 とてもテンポの速い物語です。最初はご臨終→ご臨終直後→お通夜→数か月後・・・というようにゆっくりなのですが、そのあとは数年単位で飛んで、最後はびっくりするほどぶっ飛んでしまいます。ネタバレになってしまうので詳しくは書きませんが、ナスミが生きたのは、昭和の高度成長期からバブルを経て平成なのに、ラストは、冒頭のナスミの臨終からおそらく100年以上飛んでしまっています。

 近未来小説ではなく、普通に日常を切り取った描写の作品であるだけに、未来に飛ぶのは何だか不自然でなりません。描かれている未来は、近未来でもなんでもなく、平成の日常風景と変わらず。まあ、ここでいきなり近未来小説のタッチになるのも、それこそ不自然ですが。こんなに先の時代まで飛ばさなくても、この小説の世界のよさは十分に伝わるのに残念です。全部で14話まであるのですが、失礼を顧みず言うならば、13話まででよいと思います。12話まででも十分です。

 

 残念な部分はありますが、メッセージはすごくよく伝わる作品なので◎。でもやっぱり不自然さが残念なので、本屋大賞にイチオシかというと、どうなんだろう?というのが私の感想です。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

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