本と砂糖壺

本と散歩と、あれこれ

24時間戦っていた頃

 バブル期の銀行員でした。

 担当は、支店の窓口業務。365日、プレッシャーでした。その日の勘定が合うかどうか、社会人になって日の浅い私にとって、それは大問題でした。勘定が会わなかったら、店の行員全員でくまなく原因を追究します。解決するまで、誰一人帰ることはできず、重たい空気が流れます。もし自分の間違いが原因だったらどうしようと、気が気ではありませんでした。

 

 午後3時、ガラガラガラとシャッターが下りると、一斉に勘定合わせの作業が始まります。当時はまだ、電算化は初期の段階でしたから、伝票をすべて手計算で突き合わせをします。一斉にパチパチパチと鳴るのはそろばんをはじく音。高卒の先輩たちは、そろばんも暗算も見事でしたが、私はそろばんは本当に苦手で、「なんだ、電卓か」という視線を感じながら電卓を使いました。実際、電卓は押し間違いが多く、先輩方のそろばんの方が正確で速かったりしました。

 部署ごとに勘定が合うと、「〇〇課、ゴメイで~す!」と大きな声で申告します。(ゴメイとは銀行用語で、「一算互明」のことだそうです。) そうして店全体の勘定が合うと、カランカランカラン♪(鐘の音)。 元締めの行員が「ゴメイです」と高らかに宣言して、パチパチパチと拍手です。よかったよかった。

 

 毎日がこの繰り返し。間違いは許されない。100点が当たり前の減点法。本当に疲れましたが、何十年もたって思い返すと、懐かしさもこみ上げてくるのはなぜでしょう。

 「とにかく勘定を合わせよ」「間違いは絶対に許されない」という単純で明確な目標と方針があって、それが全員に(平の行員にも、管理職にも)等しく課せられたことで、みんなでクリアするぞという機運に満ちていたからでしょうか。後に、小さな広告代理店に転職しましたが、そこではモノづくりの現場特有の楽しさはあるものの、一人ひとりがまず自分。全体で解決しようようというエネルギーはどうかと言えば、銀行の方に軍配が上がります。まじめで誠実な人が多い職場でした。仕事自体はどうにも好きになれませんでしたが、一緒に働いた人たちのことは、好きです。

 配属先になった支店に初めて行った日、次長に、「この仕事は、チームワークが大切だよ。同じ釜の飯も食うし、仲良くやろう。」と言われたことも忘れられません。支店には食堂があって、全員に同じメニューの食事が毎日提供されました。給食みたいなものですね。まさに、同じ釜の飯。調理していたのはお姉さん一人。代わりの人はいないから、お姉さんは休みなしです。「そろそろカツ丼が食べたいな」というと、5日後くらいに出てきたり、冷やし中華が出た時にマヨネーズをかけたいという新人がいたら、次回の冷やし中華からはテーブルにマヨネーズが置いてあったりと、チームを支えてくれた優しいお姉さんでした。

 

 退職後に、勤めていた銀行は、別の銀行と合併しました。支店を訪ねることはありませんでしたが、たまに都心に出た時に山手線の車窓から見える店舗に「まだある」と安心したりしていたものです。

 10年近くたったころでしょうか。ふっと気が向いて、支店のある駅で降りてみました。駅から徒歩5分。店舗のあった場所は駐車場になっていました。なんとなく予感はしていたものの、寂しかったです。

 「チームワーク」というと、高校時代に必死に頑張った部活を挙げてもよかったのですが、銀行員時代のことは何とも言えない感傷とともに蘇ります。そのときはもう、いっぱしの大人の気分でしたが、20代前半、若かった・・・ 当時の上司も、今の私よりずっと若い。あれも一種の青春だったのかも。24時間365日、プレッシャーにつぶされそうだった頃、チームワークに救われていました。今ではもう、同じようなことはできません。あの時の支店がもうないように、あのチームワークも、思い出の中にあるのみです。昭和は遠くなり、平成も終わります。

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