本と砂糖壺

本と散歩と、あれこれ

天からの手紙

今週のお題「雪」

 『雪は天からの手紙』とはよく言ったもの。中谷宇吉郎という科学者による本の題名である。こんなにしっくりくる言葉はないと思う。

 この本は、厳冬の十勝岳のふもとで、中谷氏が雪の結晶を作り出すプロセスなどをやさしく語る味わい深いエッセイ集だ。岩波少年文庫から出版されているので、10代の子どもたちでも読める・・・はずなのだが、正直に言うと科学オンチの私にはちょっと難しい。頑張って読もうと思わないと、頭に入らない。それでも「雪は天からの手紙」というフレーズは、それこそ天から降りてくる啓示のように、すとんと頭の中に収まった。なぜか。

 

 天からの手紙はロマンチックだ。昨日までの灰色の街を、一夜にして銀世界にしてしまう。やけに静かだなと思って雨戸を開けると、案の定、ベランダの手すりにも、隣の家の屋根にも、庭木にも、5センチも積もった雪。こんな光景を目にすると、「おお!」と第一声を発してしまう。銀世界はファンタジック。

 

 天からの手紙は過酷でもある。うっすらの雪化粧ならまだしも、白銀の世界ならばこの後待っているのは雪かき。そして過酷な通勤。受験生ならばもっと切実。「頼むから雪はやめてくれ」という声が聞こえてきそうだ。

 それでも私たちは立ち上がる。朝一番に、家の玄関から門までの雪を軽くどかす。家族が出かけられるように、門を出てから角を曲がるまで、一人分の道をつけてみる。ついでにもう少し幅広にかいてみる。そうこうしているとご近所さんが出てきて、本格的な雪かきになってしまったりもする。一区切りがついて家の中に入ると、体中ポカポカで、やり遂げた感じが気持ちいい。

 仕事があると、そんなご近所さんに「ごめんなさい」という気持ちでいっぱいになりながら家を出る。私の場合、普段は片道4キロの自転車通勤なのだが、バスはあてにならないし電車も遅れるから、職場まで歩くことにする。一日目の雪は、まだべちょべちょでないから歩きやすく、キュッキュと音がして楽しい。銀世界に見とれながら歩くと、意外に早く到着する。その日は一日、体の中からポカポカで、快適に仕事ができる。

 雪は天からの試練であり、乗り越えた後の充足感も与えられる。

 

 雪の多い地方に住んでいる知り合いは、ちょっと雪が積もると街も交通機関も麻痺する東京の様子が信じられないと言う。雪が降っているというのに、ハイヒールで出かけて道路を横断して転倒したなどという話がニュースになったりするが、万全な備えをしている雪国ではあり得ないと。

 これも異常気象の一種だろうか。ここ数年は都市部でびっくりするような積雪に見舞われることが増えた。特に5年前の2月の大雪は、衝撃的だった。前日の夜からこれでもかこれでもかというくらい降り続け、朝起きたら、雪で家の玄関が開けられないくらい吹き溜まりになっていた。庭のプランターも濡れ縁も痕跡がなくなるくらいのドカ雪だ。幸い土曜日だったので仕事が休みだったのは助かったが、我が家の次女は高校の土曜授業の日で、「その恰好はないんじゃないの?」という親の忠告に耳を貸さず、ミニスカートにローファーで出かけて行った。1時間も経っただろうか。まさに半泣きで帰ってきた彼女の足は、ゆでだこのように真っ赤。(ハイヒールで転倒したというニュースの女性とさして変わらない。)いくらも歩けず、家から500メートルほど行ったところで、寒さに耐えかねてコンビニに駆け込みスマホを開けたら、Twitterに休校の情報が上がっていたという。

 後日保護者会で、「家から出すときは子ども任せにせず、長靴をはかせる」「無理して出かけないという判断を親子でする」といった苦言が呈されたが、情報発信が遅れた学校も学校である。学校にたどり着いた生徒は、玄関前の「本日は休校です。」という貼り紙一枚で帰されたというのだから。もっとも、これより学校では「23区内および居住地区で大雪警報が出ているときは休校」と明言するようになり、軽卒だった我が子も、ミニスカ&ローファーはNGだったと反省した。お互い学んだわけだ。

 雪は天からの警告であり、私たちは警告から学ぶ。

 

 雪は天からの手紙である。それはファンタジックだが過酷で、試練と警告を含む。手紙の意味は深い。

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