本と砂糖壺

本と散歩と、あれこれ

バレンタイン義理チョコ事情

今週のお題「わたしとバレンタインデー」

 

 根が生真面目なのかもしれない。私は義理でチョコを贈るのは失礼なのではないかと、ずっと思っていた。だから、職場で女子グループから男性陣に贈る「組織的義理チョコ」以外は、義理チョコを贈ったことはない。

 しかし先日、「義理でも貰うのは嬉しかったなあ・・・」という声を聞いて、「あ、そうか」と思った。

 この辺りのこと、実は前回のブログに書いたのでよかったらお読みください。

 

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「義理」の中に相手を大切に思う気持ちがこもっているならば、義理チョコもまんざらではないのだろう。

 

 例えば「組織的義理チョコ」。「いつもお世話になってます」ということで女性従業員で男性陣にチョコレートの差し入れをするというのは、悪いことではないけれど、「どれでも持って行っていいです」というメモ書きとともにまとめて置かれていたらどうだろう? これはただのおやつ。バレンタインのチョコという気はしない。いかにも安っぽいチョコの詰め合わせが買ってきたままの段ボール箱に入れてあったりしたら、ただのおやつを通り越して失礼かも。

 

 幼稚園のママ友同士で、子ども名義で贈り合う義理チョコもある。ママの思い付きだとしても、子どもの手でやり取りされるかどうか、曲がりなりにも「バレンタインデーのチョコの贈り物」の体裁をとっているかどうかで、受け取り側の心持ちも変わる。ママからママへ、「これ、バレンタインデーに○○君へ」と渡したのなら、それはただのおやつ。そうかといって、我が娘は嫌がっているのに無理やり渡させたりしたら、かえって失礼。そういうやり取りは、もっと普通の時にすればいい。

 

 難しいのは、義理か本命か、判断しにくい場合。組織的義理チョコや代理義理チョコ(ママ友同士のやりとり)は、受け取る側も義理だとわかっている。たいていの場合、「義理堅さ」に感謝して、ありがたく受け取る。チョコ1枚で人間関係が円滑に。めでたしめでたし。

 しかし、贈る側は義理チョコのつもりなのに、受け取り側が勘違いしてしまったら。ほどなくしてそれが義理だとわかったら?

 こういうケースは往々にして中高生によくある話。彼らにとって義理か本命かは、バレンタインデーの大問題である。

 他人への「義理立て」が大事な大人は、義理チョコも巧く利用している。そもそも「義理チョコ」なるもの、誰が言い出したのかは知らないが、大人の発想である。

 

 先日、面白い本を見つけた。『うっとり、チョコレート』(河出書房新社)だ。

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 青木奈緒、浅田次郎、阿刀田高・・・ほか38名の作家、著名人のチョコレートにまつわるエッセイを集めたもの。帯には「バレンタインも悲喜こもごも。切なく、ほろ苦い思い出も収録。」とあるが、「非」や「ほろ苦い」思い出には、「義理チョコ」がらみが多い。内容を少し紹介する。

 

 東海林さだおさんのエッセイは面白かった。

 義理チョコももらえずに行きつけのスナックに行くと、カウンターにチョコレートが山盛りになっている。薄く安く愛情のかけらもないような、いかにも安そうなものばかり。せめて手渡しでもしてくれれば救われるのに、自分で取れという。こういうのは、何チョコというのか。義理も人情もない・・・ 

 といった内容。「おお、これだこれだ」とポンと膝を打ちたくなった。

 

 浅田次郎さんはそもそも「義理」とは何かについて言及している。「義理」はどうやら日本の造語で「対面上なさねばならぬこと」という意味に発展した。近松や黙阿弥の戯作は「義理」の応酬なのだそうだ。

 中世・近世の時代から私たちの御先祖様は「義理」をどうするか、悩んできたわけ。「義理チョコ」という発想も日本ならではのもの。やっていることは西洋風でも、DNAはごまかせない。

 

 伊集院光さんのエッセイは、切なくほろ苦い。

 6年生の少年・健くん(伊集院さんの本名)は、ホワイトデーの意味を知らなかった。2歳上のお姉さんに、「3月14日はバレンタインデーの逆の日だ」と教えてもらって、男子が女子に告白していい日だと勘違いしてしまう。ホワイトデーに、クラスの憧れの女子・裕子ちゃんの机の中に、そうっとチョコレートをしのばせるが・・・

 

 38人いれば38通りのエピソードがある。ひとつひとつ味わって読んでいるのに、あっという間に最後の話まで来てしまった。まるで、一口サイズのバラエティーチョコの詰め合わせのような本だ。バレンタインデーの前後にどうだろう? 甘いチョコはどうも・・・という大人におすすめ。

 残念なのは、エッセイが書かれた年が明記されていないこと。2017年の出版なのだが、ひとつひとつのエッセイの執筆された年代はまちまち。推察するに、出版年である2017年より10年以上前のものも多い。社会現象的なことを取り上げたエッセイも多いので、執筆年は大切。出典が明らかになっているので調べればわかるのだろうが、ここはぜひお願いしたいとおもう。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

 

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